FIRE生活4年目を迎え、最近、違和感を覚えているのが「FIRE卒業(再就職)への否定的な言説」です。
FIRE卒業は、資金不足であったり、リタイア生活に満足できずに仕事に戻るパターンが標準です。
たとえそこに計画の甘さや自己理解の浅さがあっても、失敗や気づきを得ながら前進したなら何もせず(それこそ資産形成もせず)過ごすよりベターだと思っています。
それゆえ「FIRE継続=成功、FIRE卒業=失敗」という単純な見方で切り捨てるのは、いくつかの側面から疑問を感じています。
今日はこの「FIRE卒業への批判」を、FIRE志望者やFIRE達成者に分けながら思うところを綴ります。
①「FIREを目指す人」に生じやすい落とし穴
FIREを志している立場では、FIREは将来の自由を約束する明確なゴールとして描かれやすくなります。
とくに、節約や負荷の高い働き方に耐えている最中であればあるほど、FIRE後の姿は「究極のゴールや理想形」だと期待します。
この構造ゆえ、FIRE後に別の道を選ぶ姿をみるとどうしても「自分が信じてきたモデルそのものの不確かさ」を感じやすくなって、卒業=「脱落」や「失敗」と解釈しがちです。
② 「FIRE達成者」に生じやすい落とし穴
一方で、すでにFIREを達成した立場にも、別の歪みがあると思います。
FIRE達成は、計画性や判断の積み重ねで実現するので、そのプロセス自体が成功体験となりがちです。
それゆえFIRE達成は自分のアイデンティティーのようであり誇りでもあるゆえ、FIRE卒業をする人をみると「脱落者」という評価を下す(=自分は脱落しないという成功体験を承認する)という構造になりがちです。
これは、僕も留意している点ではありますが、何をもって成功かというのは極めて個人的な問題だと思います。
それゆえ他人の人生を、自分の成功モデルで採点してしまう構造(勝手に成否を決める)は行き過ぎと感じます。
FIRE達成者というアイデンティティは重要ですが、FIRE継続=正義と押しつけすぎるのは考えものです。
僕が考えるFIREの自由の構造
こうした点を自分でも冷静に、そして謙虚に考えると、あらためてFIREのメリットは違ってみえています。
それはFIRE(=自由)というのは「選択肢があるというより、選択肢を選び直せる柔軟性」という感覚です。
FIRE生活を送り、そこで価値観や関心が変わり、「この道は自分には合わなかった」、「次は別の形で社会と関わりたい」と判断するのは、自分の意思決断である限り後退ではなく進歩だと思っています。
終わりに
FIRE継続=成功、卒業=失敗という画一的な価値観は、どこかサラリーマン社会のルールと変わらない気がします。
せっかくサラリーマンの土俵を降りたのに、またFIRE成否のルールに縛られて生きるのもどこか不自由です。
自分自身の4年間の振り返りとして、FIREを達成したことがアイデンティティーになるなかで、どこか思考が固定化し縛られている危機感でもあります。
それゆえ、FIRE卒業をあまりにも失敗と捉える在り方には疑問が生まれてしまいます。
FIREの価値は、「続けたかどうか」より自分の生き方を自分の意思で更新し続けられているかどうかが重要ではないかと思っています。
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