昨日、テレビで『千と千尋の神隠し』が放映されていました。
僕がまだ子育てをしていた頃、子どもたちが大好きで、何度も繰り返し一緒に観ることになった作品です。どの場面でどんなセリフが出てくるかも自然と覚えてしまうほどでした。
ところがFIRE後のいま、あらためて観ると、心に残った場面がまったく違いました。
主人公の千尋の成長というより、エンディングにも関連する「髪留め」です。
今日はその感動ポイントとリタイア後の時間感覚の変化を綴ります。
会社員時代の感動~努力と成長の物語
会社員の頃、僕にとっては「主人公の千尋の成長物語」として感動していました。
千尋と両親は「神の世界」に迷い込み、そこで豚に変えられた両親を救うため、千尋は魔女(湯婆婆)が経営する油屋で必死に働きます。
数々の困難を乗り越えて両親と現実社会に戻る・・という千尋の愛と成長なる物語が感動につながるポイントでした。
でもこれは「労働と成長」といった湯婆婆の世界観で理解していたと思います。
FIRE後のいま、心に残ったのは「髪留め」だった
今回強く印象に残ったのは、湯婆婆の姉(銭婆)の家で髪留めが作られるシーンです。
銭婆は「姉妹はまるで性格が違う」というセリフもありましたが、その湯婆婆とは真逆の性格です。
千尋はハクの命を救うため、そんな銭婆に会いに行き、そこで銭婆は坊ネズミ(湯婆婆の息子)、ハエドリ、カオナシたちと一緒に手作業で髪留めを作ります。
銭婆はこう言います。
「魔法で作ったんじゃ意味がないからね」
確かに、カオナシが糸を紡ぎ、坊たちが手を動かし、時間と手間をかけて作ったもので、その髪留めを意味深に「お守りだよ」と銭婆が千尋に渡します。
映画の最後、千尋と両親がトンネルを抜けて現実社会に戻った時、千尋のクローズアップシーンで、その「髪留め」が一瞬光りました。
何度も観てきたのにこの描写を初めて気づいて、そして「深い意味」を受け取りました。
なぜ髪留めは“現実世界で光った”のか
魔法の力を使えば、銭婆は一瞬に髪留めを作れたはずです。
でもあえて手作業で、仲間たちが協力して作ったものだからこそ、現実世界でも魔法は解けず髪留めが光りを放ったのです。
それが、今のリタイア生活で僕が感じていた少しばかりの矛盾への謎解きにつながりました。
僕は「なぜ、リタイア生活で時間があるのに、あえて料理や掃除に手間をかけているのだろう?」といった日々の「時間感覚の非合理性」を感じています。
会社員の頃は「効率」や「タイパ」を優先していていましたが、今のリタイア生活は「非効率」を受け入れ、手間なことでもあえてやります。
時間は有限で貴重な資源であるにもかかわらず・・・です。
そんな矛盾が、「魔法ではなく手作りの髪留めだから時空を超えて残った(光った)」と受け取りました。
FIRE後の世界観
つまり、湯婆婆が象徴するのは魔力を使った効率主義的な「即効性の世界」です。
一方、銭婆は「非効率でも関係性や手作業を重視する世界」です。
リタイア生活のなかで、自分にとって大事なことは効率性を優先せず手間をかけてでもやるようになったのは、銭婆の世界観と似てきています。
この作品について、宮崎駿監督は、「あの世界を、全部夢だったという話にはしたくなかった」と語っています。
終わりに
『千と千尋の神隠し』の感動ポイントが変わったのは、単に年を取ったからではありません。
僕にとって、会社員の頃の「効率」といった湯婆婆的な世界観から、リタイア後は非効率でも「丁寧な生き方」を大事にする、そんな変化によって起こったことです。
宮崎監督が髪留めに込めた思いは、自分のタイパや時間効率(といった魔法)に頼らない感覚の大事さと似ています。
僕にとっても、楽しいリタイア生活を「夢の期間」で終わらせなくない・・そんな思いがあるゆえ、ラストシーンの光る髪留めから勇気を受け取りました。
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