つい先日まで「早く夏が終われ」と思っていましたが、いざ夏が過ぎると少し寂しい気持ちになります。
暑さに苦しんだはずなのに、不思議なことに夏の終わりにはどこか哀愁が漂うのです。
ところが会社生活をやり終え、アーリーリタイアを迎えたときには、そうした哀愁は全くありませんでした。
むしろ圧倒的な解放感と達成感に満たされ、「仕事に戻りたい」と思うことは一度もありません。
今日は、この「季節と仕事の去り際の感覚の違い」について綴ります。
季節は「戻らないから懐かしい」
真夏や真冬のような極端な季節は、誰にとっても不快に感じられる時期があります。
猛暑のさなかには「もう嫌だ」「早く冬になってほしい」と思ったものです。
しかし不思議なことに、過ぎ去ってしまえば「また夏が来る」という安心感とともに、どこか懐かしさを感じます。
四季が巡ることを前提にしているからこそ、その一瞬を愛おしく思えるのでしょう。
季節は必ず循環し、再び出会える存在だからこそ、「この夏も悪くなかった」と懐かしむ余裕が生まれるのでしょう。
仕事は1度きりだから哀愁がない
一方、仕事人生はどうでしょうか。
確かにサラリーマン生活には、真夏のように厳しい時期もありましたし「早く終わってくれ」と願った日も数え切れません。
けれどアーリーリタイアを迎えた時には、夏の終わりのような寂しさは訪れませんでした。
そこにあるのは「やっと自由になれた」という解放感と、「やり切った」という達成感だけです。
振り返れば、仕事には無意味な時間や理不尽な出来事もありましたが、総じて、何者でもない平凡な自分が学びや成長の機会も得て、やれるだけの事はやったわけです。
もはやこれ以上、何ができるともありませんし、哀愁に浸ったり戻るなんて、若くて優秀な人たちが災難なだけです。
それと、FIRE後も会社に戻りたいという人は「社会とのつながり」や「世の中への貢献」などあるようですが、仕事ではない方法で代替が可能だと思っています。
人生は一度きりの四季
こうして比べてみると、季節と仕事の去り際の違いが見えてきます。
季節は巡るから懐かしく、仕事は一度きりだから哀愁がない。
特に僕のように50代でリタイアするまで仕事をしたので、若くしてFIREした人とは違って「一度きり」という思いは強いと言えます。
そしてもっと大きな視点で考えれば、人生そのものも一度きりの「春夏秋冬」だと思います。
確かに、幼少の「春」は振り返れば懐かしく、青春の「夏」は眩しく、季節が過ぎれば切なさが残ります。
いまのアーリーリタイア生活はいわば「秋」のようなもので、とりあえず、実りを味わい、落ち着きの中で過去を振り返りながら未来を受け入れる季節なのかもしれません。
終わりに
季節は必ず巡ってきますし、懐かしさや哀愁を与えてくれます。
一方で、仕事や人生の時間は一度きりで、その去り際に哀愁がないのは、むしろ「やり切った証」なのかもしれません。
もし「やり切った」と思えなければ、老いゆく人生は哀愁ではなく後悔に覆われてしまいますからね。
また、この「やり切った」という感覚も、無理に大きなことを成し遂げる必要なんてなくて、自分を過大評価せず身の丈に合った範囲で十分だと思っています。
季節の変化には哀愁を感じ、日々の生活は肩の力を抜いて「自分サイズでやり切る」を続けるぐらいが、心地よいアーリーリタイア生活のコツではないかと思った次第です。
ランキングも参加してます。参考になる部分がありましたら、ぜひポチっとしていただけると励みになります。
↓