富裕層の定義として最も広く知られているのが、NRI(野村総合研究所)が公表している「富裕層ピラミッド」です。
これは「純金融資産保有額別の世帯数と資産規模」に関する調査で、ここでは「純金融資産1億円以上」が富裕層、「5億円以上」が超富裕層と定義されています。
今日は、この「富裕層」という定義に対して感じる違和感について、生活実感を交えながら綴ってみます。
富裕層という個人的なイメージ
そもそも「富裕層」という言葉から僕が思い描くイメージは、「生活のために慌ただしく働かず、たとえ働いていても時間と裁量に余裕があり、経済的にも豊かな人たち」 です。
もちろん、これはあくまで個人的なイメージです。
一方で、NRIの定義では「純金融資産1億円以上」という数値的な基準で富裕層が分類されています。
この定義に従えば、たとえば、働きに働き、節約に節約を重ね、質素な生活を貫いて1億円を貯めた人も「富裕層」に含まれることになります。
実際、資産家の家庭に生まれず、ゼロから資産形成をして1億円を築いた人の多くは、サラリーマンとして「働き詰め+倹約」を続けてきたケースが大半でしょう。
サラリーマンが派手にお金を使いながら富裕層入りするのは、現実的には非常に難しいのです。
だからこそ、「富裕層は倹約家でお金にシビアだ」というイメージが世間に定着しているのも、自然なことかもしれません。
とはいえ、サラリーマンとして日々忙しく働き続ける生活は、時間的な自由とは無縁であり、リタイア後もその節約習慣が染みついているものです。
そう考えると、単に資産1億円を持っただけで「豊かに生きる富裕層」と言うには、やや違和感があるのです。
FIREの生活スタイルで富裕層に近くなるか
では、仮にFIREを達成して仕事を辞め、時間的な自由を手に入れたとしましょう。
さらに純金融資産として1億円を保有していた場合、それを運用して「富裕層らしい」生活ができるのでしょうか?
試算してみると、資産1億円を年利3%で運用した場合、得られる資産所得は年間300万円ほど。
これは、年収300万円のサラリーマンと同じ水準です。
たとえ1億円の資産(ストック)を持っていたとしても、そこから得られる収入(フロー)が300万円では、富裕層らしい経済的余裕を実感できるとは言い難いでしょう。
仮に隙間時間で働き+200万円の収入を得たとしても、年収は合計500万円。
このレベルでは、「小遣い稼ぎをする富裕層」というちぐはぐなイメージになり、
やはり富裕層らしい豊かな暮らしには遠いと感じます。
富裕層とは
僕の感覚では、「資産所得だけで年間1500万円以上を確保できる」 くらいが、富裕層らしい生活のラインだと思っています。
これを実現するには、年利3%運用を前提とすると、必要な資産額は5億円になります。
つまり、
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資産を減らすことがない
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資産所得だけで年間1500万円の生活費をまかなえる
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時間的・経済的自由を満喫できる
こういう状態が、本来の「富裕層」と呼ぶにふさわしいのではないかと感じます。
ちなみに、NRIの定義では5億円以上は「超富裕層」に分類され、全世帯のわずか0.16%。
およそ500人に1人いるかどうか、という超レアな存在です。
終わりに
結論として、生活実感に即した「富裕層」は資産5億円以上、資産所得年間1500万円以上 だと思います。
しかし、ここで大切なのは、数字だけで測れない心の豊かさです。
僕自身は、この「超富裕層」のカテゴリーには該当しません。
ですが、「時間」「お金」「健康」「家族や仲間」「生きがい」 を大切にし、心豊かに、余裕をもって生きることができているなら、それは十分に幸せだと感じます。
なぜなら、たとえ資産5億円を持っていたとしても、精神的な豊かさや幸せな日々が送れると保証されるわけではないからです。
結局、「富裕層」というお金のモノサシは、あくまで一つの参考で、本当に大切なのは、経済的豊かさと精神的豊かさ、その両方を自分の基準で上手にバランスさせられた状態と思っています。
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