早すぎず遅すぎないそんなベストタイミングでFIREをすることは理想です。
ですがそのFIRE決断で左右するのが「時間とお金」です。
この両者(時間とお金)は両立できないトレードオフなる関係にあるからです。
例えば、リタイアが早いと人生でのリタイア時間は多くなりますがお金はまだ十分に貯まりきっていません。一方でリタイアが遅いとお金は十分に貯まっていますがリタイア時間が短くなります。
「時間とお金」はこうしたトレードオフの関係ゆえ、両極端は
・「とても長いリタイア人生をすごく節約して過ごす」のか、
・「とても短いリタイア人生をすごく贅沢して過ごす」のか、
という両端です。
そしてFIREのベストタイミングとは、自分がその間の「どこに着地するのが最も居心地よいか」を判断することに他なりません。
今回、僕がどういった基準でその判断を進めたかを綴りたいと思います。
幸せの総量を基準にする
僕が重視したのは「幸せの総量」です。
幸せを最も多く感じられる、そんな総量を最大化できる地点がどこかを探ったわけです。
総量といっても抽象的なものであって自分の直感で感じたものではあります。
その考え方を分かりやすくするためあえて公式化してみました。
イメージとしてはこうなります。
幸福の総量=(a. リタイア生活の充実度)x(b. リタイア年数)
ですがなかなかピンとは来ないと思います。
苦しいほどの節約をしながら充実度20点(100点が満足)で健康年齢の残り30年なら600点。贅沢し放題の充実度100点で健康年齢が残り5年なら500点。
そんなイメージです。
公式としてはこんな感じですが、とにかくわかりにくく、しっくりこないと思います(とくに若い人には)。
なので少しアプローチを変えて「例え話」で考えてみます。
例えるならマラソンである
この公式で難しいのは「奥行が見えない」ということです。
奥行とはマラソンで言えば「ゴール」というものです。
マラソンでゴールを目指して走る時に、どこにゴールがあり、そのゴールまでどの程度の距離があるか、それがわからないと走るペースも心の準備もできません。
これをリアルの生活にあてはめると「年齢」が大事になる気がします。
若い時は「人生はまだまだ無限に続く」という感覚があります。
40キロマラソンの最初の1,2キロで「ゴール着地イメージ」はつきませんが、20キロなり30キロまで走れば、残りの距離感も、向かっているゴールも、途中のペースダウンの変化もはっきり認識できるからです。
それは年齢を重ねることで、その先を読む「推測力」ができるとも言えます。
年齢による幸せの総量の推測力
僕の場合は50歳前後と55歳でリタイアを考えたわけですが、その年齢までくると、
・直近の40~45、45~50、50~55歳の5年刻みで体力・気力・健康の変化を実感している、
→リタイア後の体力・気力・健康の変化を想像しやすい
・20代、30代、40代と価値観の変化を実感し、まただんだんと価値観が安定している
→リタイア後の価値観の振れ幅を想定できる
となっています。
マラソンでいけば40キロのうち既に20キロというかほぼ30キロ地点まで走ったようなものです。その疲れ具合や残された体力、そして既にゴールに近いことから、残り10~20キロのペース配分はし易いという感覚です。
ですがこもし35歳や40歳という若さであるなら、それはマラソンでは最初の5キロも走っていない状態と一緒であり、それゆえ残り35キロのペースを想像しにくいことになります。
幸せの総量を最大にできるにはこうした経験に基づく「推測力」が重要だといえます。
推測力の意味すること
幸福の総量=(a. リタイア生活の充実度)x(b. リタイア年数)
に戻ると「a. リタイア生活の充実度」になります。
そして、リタイア生活が充実できるかどうかで必要なことは、
・自分の体力・気力・健康のレベルを把握でき、
・リタイア後の価値観の振れ幅が少なく(リタイア後に考え方や価値観ががらっと変わるとそれはまたリスク)
・リタイア後のやりたいこと(それにかかる必要資金)がある程度は洗い出されている
が揃っていることにかかってきます。
言い換えると「自分を良く知っていること」であってマラソンで既に完走まで残り半分を切ったような年齢(経験値)であれば、若いよりは高い解像度でゴール地点もその距離も自分の体力も理解し、ベストタイミングで最後のスタートダッシュを切れるわけです。
終わりに
以上のように、時間とお金というトレードオフのなかで、早すぎず遅すぎず自分に最適なリタイアタイミングを見極めることが必要です。
僕は「幸せの総量」といった感覚をまずは大事にしました。
概ね総量が大きくなるポイントが見極められたあと、実はワンテンポ遅いタイミングでFIREをしたと思います。
そこには「やりたいことをやりきって時間を余す」より「やりたいことはほぼやりつくすがお金が少し余る(やりたいことも少し残る)」が良いだろうという感覚です。
美味しいコース料理を味わい、お店には申し訳ありませんが、最後に少し食べきれずに残してしまう。そして「満腹で幸せだった、食べきれなかったよ~」で終われる人生という感じなのでしょうね。
そんな最後の晩餐イメージです。
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