会社人生に満足していたらFIREしない説への異論

2023-12-11

経済的自由・FIRE

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セミリタイア界隈の通説で「会社人生に満足していたらFIREなんてしない」と時々伺います。

僕はこの通説には該当しません。

もしかしたら僕の感覚や感性は理解されにくいのかもしれません。

でも一応、「苦痛vs楽しい」と「罪悪感vs解放感」という軸の掛け算で「会社人生に満足していてもFIREする」ということを説明したいと思います。

満足することをやり続けるのが人生でもない

まず大前提として、

・満足していたらそれ(会社)をずっと続ける、不満なら直ちに辞める、といったような仕事(会社勤め)は単純なものではない、

・会社人生は避けて通れるものでもないし、いずれ自分の生きたい人生を送るために、それは必要(悪?)なるものだ、

とサラリーマン当初から思っています。

つまり、会社生活が不満(*苦痛とまでいかない)となりえるだろうというのは入社前から織り込み済みでしたし、それは避けて通れないものです。

それゆえ入社式前夜の3月31日の寝る前が「人生で最も憂鬱だった瞬間」でした。

僕にとっての会社生活の苦痛とは

仕事を始めると大半(9割の時間)は苦痛というか不満はあります。

不満を分解すると、退屈、浪費、焦燥です。

それは、

①無意味な仕事やなりでやる仕事が多く退屈

②集中して取り組むゆえ仕事時間が早くすぎる(人生の時間を浪費する感覚)、

③公平性や平等性に欠け不透明で理不尽といった体験からの焦燥感

といったことです。

ただこの不満9割を耐え目標に向かえば、1割の時間は達成感(やりがい、醍醐味、充実感?)を感じられると捉えています。

会社人生は苦痛をトレードに達成感を得る

こうした会社の「9:1法則」で、自分の不満を9割耐えて差し出せば、引き換えに達成感1割を得る「交換レート」が会社人生では普通だと思っていました。

会社に対し過剰な期待も幻滅もなく、淡々と「達成感」らしきものへ交換し貯蓄します。

その達成感旨味成分(って表現は嫌われそうですが)を少しづつ自分の心の器(さしたる容量でもありません)に10年また次の10年と入れ続けてきました。

そんなものは旨味じゃないとの意見もあるとは存じますが、これは個人の味覚問題ゆえお許してください。

で、だんだんと「もーいいか」と満腹になってきました。

なので会社は100%苦痛とか、100%楽しいとか、そんな極論や妄想はありません。

妥当なところ「かなり交換レートの悪い達成感を得る場所」であって、そんな事実は大学生の頃からバイトを通じて織り込み済みでした。

お金を貰うわけですから「楽しい、ラクだ」なんてパラダイス大学生活のようにはいきません。

そこを通らないと次に進めない登竜門です。

個人事業主で人生を生きれば苦痛じゃないかも

「じゃあ会社ではなく個人事業主で生きていけばそんな悪い交換レートで取引しないですむ」と言う人もいらっしゃるでしょう。

ただ僕は自分に甘い人間なので、自分の殻を壊してくれるぐらいの環境に自分を置かないと1人仕事ではサボりがちです。

よく中高校生で「あえて体育会系の厳しいクラブに入る」という人もいますが、その感覚と似ているかもしれません。

また、自分の本来の能力では手の届かない世界に、会社の看板で「下駄」をはかせてくれるとの期待はありました。

例えるなら、どうせ部活するなら野球が強い学校の野球部のほうが得られる経験値は高いということに似ています。

自分の実力云々やレギュラーになれるかは、さておき、ですが。

時間に比例して罪悪感も減少

そんな会社に身を置き、時折「逃げ出したい」ということもありました。

ギリギリのところを踏ん張り、異動で救われたりもあります。

なので「まあ最悪な状態は3年以上は続かない」と思っていました。

そうこうするうちに消失してきたのが罪悪感や背徳感です。

時間経過とともに「ここまで我武者羅にやればもう仕事は十分だろう、会社を辞めて人生遊んでもいいだろう」と仕事をしないことへの罪悪感が減っていくのです。

最終的に達成感が増え罪悪感が減りリタイアした

ということで会社生活を30年超えた段階で、

・いよいよ苦痛を引き換えにえた「達成感」で満たされ(苦痛→達成感)、

・いま辞めて無職となっても罪悪感も無く解放感を得られそうだ(罪悪感→解放感)、

といった掛け算によって会社に未練なく「飛び出そう」となった感じです。

もちろん、会社に居残って得られるものもどんどん制限される居残りの窮屈さも理由です。

こうした「今辞めるとどう感じるか」という変化をサラリーマンを長く続ける時間軸に沿ってイメージ図にすると以下(罪悪感→開放感、苦痛→達成感という集積方向)になります。

なお、FIREをするうえでは、こうしたメンタルの動きだけでどうこうできるものでもなく、経済の動き、家庭環境や社会的な状況の動きなど、幾つも条件が重なってのリタイア判断ではあります。

終わりに

今回は自分の心境を言語化しました。

この問題の難しい点は「誰もが自分の経験を通じて”会社”というイメージを抱いている」ことです。

100%「苦痛」で会社から速攻で逃げたい人もいれば、「不満」という程度で我慢できる人も、僕のように9:1法則で「満足できるもの」と仕事を括れる人種もいます。

冒頭に戻り「会社人生に満足していたらFIREしない」との通説・・。

そんな通説は裏を返すと「会社人生が苦痛だからFIREをしたんだ」ということと「会社生活が良ければもっと在職したのに」というのがあるのかもしれません。

一方で僕のように「会社人生は満たされた(居残ったところで得られるものも少ない)からこそFIREをしたんだ」というのもあります。

FIREといっても、いろいろな経緯や形のFIREがあります。

1つの見方が全てでもなく、それぞれの多様さは尊重されるべきと思います。


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自己紹介

2022年3末に完全リタイア。FIREの自由で創る”自分らしいセカンドライフ” としてFIRE-Driven Lifestyle Innovationをテーマに、日々の気づきや経験を発信して精神的に豊かなFIREを応援します。
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