ときどき「人生100年時代だから急いでFIREする必要はない」という意見を耳にします。
この見解は掘り下げ方が浅いと、いつも思います。
今日はこの見解について僕の思うところを綴ります。
人生100年時代の本当の問題(想像)
この主張にかかわる人生100年時代の本当の問題って「長すぎる健康寿命以降の期間の過ごし方」を過小評価している点だと思います。
健康な状態で好きなことをできる限界年齢はせいぜい70歳中盤(男性の健康寿命は約73歳なので)です。
仮に人生100歳まで続くなら、なおさら、健康状態で過ごした以降の25年も「ひたすら生きる日々」があります。
この25年間にいったい「何を拠り所にするのか?」が大きく左右することになります。
人生100年時代に必要なこと
僕の個人的想像としては、その25年なりは、リタイア後の自由環境で得た経験でありバイタル資産が左右すると思います。
バイタル資産とは自分が生きるうえでの糧になる資産で、リタイア生活で得た「知恵」とか「教養」、「体験」、「思い出」といったものが「心の拠り所」になるのではと思います。
人生100年時代はFIREを急がないの根拠
ちなみに「人生100年時代はFIREを急ぐ必要はない」という理屈は「人生はずっと長いのだから楽しいことは先送りしても大丈夫だ」とも聞こえます。
仮に、70歳定年となったら、定年後からたった数年の健康寿命の期間で、その後の25年なりを支えるバイタル資産を作ることが必要です。
そんな密度の高いリタイア生活ってとても無理なことです。
ましてはリタイアしたらすぐに健康寿命が尽きるなんて状況も、「そもそも何のために生まれてきたのか」と思ってしまいます。
結局「楽しいことを先送り」というのは、そこに健康度数を考慮しないリスクがあります。
せめてFIREすべき年齢は
仮に男性の健康寿命が73歳で平均寿命が82歳という数字を使うと、その9年間に値するのと同じ期間、「完全リタイア後の自由なる日々」があってバランスが取れると思います。
つまり、64歳で完全リタイアし、9年の健康寿命を活かしてバイタル資産を蓄積し、健康寿命後の73歳から平均寿命の82歳までの余生9年間を過ごすことになります。
この程度のバランスがないがあれば、リタイア生活を振り返りながら余生を過ごせるとも思えます。
FIRE年齢のベストタイミングは個々人が決めることですが、少なくても「人生100年時代だから早くFIREする必要はない」なんて悠長なことを言ってると、短い健康寿命と長い余生のバランス悪い人生になる気がして、この主張は説得力がないと思っています。
終わりに
健康寿命を超えた日々がどのような生きがいになるかはまだ想像できません。
もしかしたら孫がいて可愛がったりするかもしれませんし、その時代にはもっと老人同士のコミュニティーが完成されていて、同じような境遇の人たちとお話をするだけでも楽しいのかもしれません。
まあでも時間も健康も有限なので、FIREを先送りしよう、という発想はどうかなとは思います。
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