天才科学者のアインシュタインが今の時代を生きていて「FIREブーム」を見たらこう嘆くかもしれません。
「手段が完成して目的が混乱していること、これが私の意見では現代の特徴です。」
(アインシュタイン『晩年に想う』より)
これは科学技術が平和の脅威となる使われ方についての疑問を呈したアインシュタインの発言でした。
今日はそんな「科学とFIREに共通する弱点」について、先日の広島サミットを見ながら思うところがあり、記事として綴りたい思います。
科学とFIREの持つ共通した弱点とは
FIREも科学技術も、人の生活を自由にしたり便利にしたりするための「手段」であり、また手段としての完成度も高いという点が共通しています。
FIREを見れば4%ルールから始まり、多様なFIRE達成手法も存在しネットで溢れんばかりの情報が流通しています。
科学技術も、それを応用したさまざまな製品やテクノロジーが存在し、人間がその機能を使いこなせないほど多様化し溢れかえっています。
こうした手段が完成し、豊富に提供されているもののアインシュタインの言葉の通り「目的が混乱」している側面もあります。
FIREも科学技術も、それ自体はなんら目的を提供するものではありませんし、「FIREを達成していかに生きるか」も「科学技術を使って何をするか」も、結局は扱う人の心が定めるからです。
人間の善意や悪意の数だけ目的もあるってことです。
良くも悪くも使う手しだいというのが特徴です。
広島サミットも平和を考える機会になった
アインシュタインは広島の原子爆弾投下の報道に強い衝撃を受け、終戦の年には「我々は戦いには勝利したが、平和まで勝ち取ったわけではない」と演説しています。
核兵器を廃絶すること、戦争を根絶すること、科学技術を平和利用することを世界各国に訴えた「ラッセル・アインシュタイン宣言」も有名です。
そんな1945年の広島から80年近くもたって、G7サミットでは各国首脳が平和記念資料館を訪問したことは、平和のメッセージとしては本当に良いことだと思います。
いまだに、科学技術を人間がどう向き合っていくかは、当時から大きく進歩せず解決もされていませんが。
FIREも同じで、使い手次第では、本来、自由であったり自分らしさを手に入れるFIREが、不自由な人生であったり、自分らしさを見失なう道具にもなったりします。
難しい問題ですね。
共通する社会背景
アインシュタインが生きた時代は大戦を通じた覇権争いで、軍需に直結する科学技術分野に大きな予算がさかれ、科学技術のHOWが、いろいろな形で軍事活用されてしまいました。
令和のいまは、先行き豊かな未来を描けない社会が、人々にいろいろな不安や疲弊をもたらし、FIREのHOWが注目されるのも、同じだと思います。
ただ、FIREを達成して、しっくりした人生でなければやり直すこともできるわけで、兵器のように人の命まで奪うわけではないのというのは、大きな違いですが。
英語での表現
アインシュタインの言葉の原文はこちらです。
A perfection of means, and confusion of aims, seems to be our main problem.
「手段は手段として完成度がますますキラキラ磨き肥大化し、肝心の目的であるFIREの生きざまが語られずにアンバランスなる混乱に満ちている・・・という私たちの現実社会の有り様が、問題の中核だ」。
と読めてきて、アインシュタインが生きていたら、FIREについて、こうした行間で語るだろうな、と思いました。
終わりに
科学技術は、生活を豊かにする大きな夢と希望になります。
FIREだって、同じぐらいの夢と希望を持てるものだと、僕は思っています。
目的さえ見失うければ・・。
広島のサミットをみながら、そんな「科学技術の目的を考える責任も、FIREで何をしたいのかの答えも、ひとりひとりが負っているもんだしなあ」と考えさせられました。
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