FIRE生活を4年送る中で、お金との向き合い方について、どうしても立ち止まってしまう問いがあります。
それは、「お金を増やすゲームを、本当に降りていいのか?」という迷いです。
サラリーマン時代、お金を増やすことは、自由と解放に近づくための明確な手段でした。
働き、貯め、増やす。その先にしか出口はないと信じていました。
FIREを経て、その目的は達成され、今は「お金は使ってこそ意味がある」というDie With Zero的な考えにも、腹落ちしています。
それでもなぜか、お金を増やすゲームには戻らないことへの迷いが、最後に少し残っています。
今日は、その感覚の正体について整理してみます。
お金を増やしたいわけではない
まずは、はっきりさせておきたいのですが、「もっとお金が欲しい」のかと言われると、そうではありません。
生活に困っているわけでもなく、将来の不安に追い立てられているわけでもないのです。
資産運用はすでに防衛的にリバランスし、「最大化」から「最適化」のフェーズに移っています。
生活費も切り詰めていません。
人間関係、好奇心、学び、体験には、むしろ意識的にお金を使っています。
だからこれは、単純な金銭欲の話ではありません。
投資では、この感覚は埋まらない
では、投資でさらに増やしたいのか。
これも、どこか違います。
資産が増えればうれしいのは事実ですが、数字が上下すること自体に、以前ほどの熱量はありません。
投資は今や「生活を守るための仕組み」です。
増えるかどうかより、壊れないかどうか。
刺激や手応えを求める対象ではなくなっています。
起業したいわけでもない
では、事業や起業なのか。
これも、完全には当てはまりません。
自分のアイデアを形にしてみたい気持ちはあります。
ですが、そのために時間や健康を削る気はありません。
再び「忙しさ」や「責任」に縛られる生活に戻りたいとはまったく思えません。
あれはもう、終わった世界です。
それでも残る「試してみたい」という感覚
それでも、なぜか消えない感覚があります。
それは、「自分の内側にある関心やアイデアが、どこまで価値に変わりうるのかを、自由な時間を持ついま、試さずに終えていいのか」という問いです。
お金を増やす、成功する、評価されたい・・そのどれでもありません。
この迷いの正体は一体何なのか?
増やすか、降りるか、ではない
まず大前提に、Die With Zeroの考え方は今も正しいと思っています。お金をゼロにすることが目的ではなく、使いたいところに躊躇なく使う価値を実感しています。
それでも、「増やすこと」を完全に手放すことに慎重になるのは、欲望というより、人生のある可能性を未検証のまま終えることへの抵抗なのだと思います。
これは、増やすか、降りるか、という二択ではありません。
お金を増やすゲームというスイッチを、自分の手で完全に閉じてしまうことに、恐怖であり未練のような迷いが、残っているだけだと思います。
終わりに
FIREをして、お金の不安やお金へのこだわりも消えました。
それでも残るこの迷いは、お金の問題ではなく、生き方の問題なのだと思います。
お金を増やすことは辞められても、お金を増やすゲームは断ち切れない。それは、自分の内側にある可能性という回路へのスイッチを、自分の手で完全に閉じてしまう恐怖であり未練です。
ただ、こうして答えを急がずにスイッチを入れたまま過ごせること自体が、FIREによって手に入れた自由だとも感じます。
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