セミリタイアという生き方は、FIREを少しでも早く実現したい人やFIRE後の生活がどうなるか想像つかない人にとってはメリットある選択だと思います。
働いてお金を稼ぎながらリタイア気分を味わうことが可能になるからです。
ですが僕はそんなセミリタイアという生き方は選択せずに完全リタイアに直行しました。
それが自分にとっては正解だったと思っています。
今日はそんな「セミリタイアを選択しなかった理由」について綴ります。
セミリタイア生活とは
まずセミリタイアの定義として「働く時間を大幅に減らし自由なるライフスタイルを送ること」とします。
具体的には働く時間は週2日がマックスというのが僕のイメージするセミリタイアです。
1週間のなかで働く日数より休む日数のが多い状態だからこそ「セミ+リタイア」が合う気がして、もし1週間のうち3日以上働くと労働時間が休暇より多くなるので「セミ+ワーカー」になってしまうとも思えます。
これはあくまでも個人的な感覚の問題です。
なお当然ながらこんな↓「セミ(蝉)+リタイア」ではありません。
セミリタイア生活の2パターン
2日/週の労働までを前提にした時に、2つの心境パターンが思い浮かびます。
それは、①仕事と休みの完全分離型、②仕事と休みの融合型、というものです。
それぞれみていきます。
仕事と休みの完全分離型
仕事と休みの完全分離というのは字のごとく、仕事(オン)と休み(オフ)を完全に切り分けられることです。
労働環境としても休日にメールの返信を期待されたりせず、また休日に電話連絡が必ず付くようなことを仕事上求められないことが必要です。
そして心境的にも仕事と休みを完全に切り離す「オンとオフ」をセルフコントロールできることです。
それゆえ「働いてお金を稼ぎながらリタイア気分を味わう」といういいとこ取りができます。
仕事と休みの融合型
それに対し仕事と休みの融合型というのは、たとえ休日であってもメールでの返信が期待されたり電話連絡がつくことを期待される職場に発生してしまいます。
また心境的にも、たとえ休みであっても仕事について考えてしまったり、あるいは仕事の準備を休みの時にしてしまうといったオンとオフが融合された状態のことです。
するとこの状態では「フルタイムほどお金を稼げず、かといってリタイア気分を味わうにもならない」といった悪いとこ取りになってしまいます。
自分のセミリタイア特性
こうした2つのセミリタイアの心境パターンにおいて、僕は間違いなく「仕事と休みの融合型」になると思います。
つまり「悪いとこ取りをして損」となるわけです。
もちろん職種や役割にもよるかもしれませんが、ある程度の収入単価を得ようとすると責任も生じますし、それに応じて休みであっても緊急対応が求められるというのはありがちです。
逆にいえば、給与も良く、休みの日には完全に連絡を絶つことができて、それでいて職が保証され、週2日で良い・・・なんて都合よい仕事が世の中に存在するのかさえ疑問です。
あるとしたらプロジェクトベースで定期的な業務を週2日で終わらせるとか、成果物が確定されていてその作成が週2日ペースで半年で進めるとか、そういった限定された仕事を想像します。
現実にそんな仕事があるとも思えませんし、なかなか自分がそうした仕事をやるイメージを描けません。
セミリタイアの悪いとこ取りが結論
つまるところ、僕がセミリタイアで週2日の仕事をしたら「稼ぎとしては週2日と中途半端であり、かといってリタイア気分も味わえない」といった「悪いどこ取り」となるのがセミリタイアが選択肢にない理由です。
こればかりは性格的なものなのでしょうがありません。
きっとセミリタイア中に旅行に行っても「今晩には帰宅し明日から仕事だ」なんて考えだすとたとえプレッシャーの少ない仕事でもそんな「拘束」によって解放感やリタイア気分が失せてしまいます。
「仕事は仕事、休みは休み」とうまく切り分けられないのはセミリタイアには致命傷と思えます。
終わりに
以上、僕はセミリタイアとは性格的な相性がイマイチであると思いますし、それゆえ完全リタイアまで一気に仕事をやり切ったことで人生トータルとしては全体最適となったと感じます。
なお、完全リタイア生活を送る今は遊びを中心に過ごしていますが、もしかしたらそんな遊びが結果としてビジネスにつながりお金を稼ぐ源となるのはありえなくはないと思います。
すると世間一般の「フルタイム→セミリタイア→完全リタイア」という流れにはならず、僕の場合は「フルタイム→完全リタイア→セミリタイア」という順序になるかもしれません。
純粋に遊びながら結果としてお金が入る、そんなお金儲けではないビジネスをする後者のルートは、生き方としては理想といえば理想ですが、それをノープレッシャー、ノーオブリゲーションでできるかが未知の世界です。